清輝楼日記:丹後半島宮津/天橋立の文人墨客の宿
京都府北部丹後半島・宮津/天橋立の老舗旅館清輝楼主人の徒然日記。元禄年間創業の宿は「小さなちいさな美術館」として文人墨客の作品を多数展示。歴史・まち歩き情報など丹後宮津/天橋立の魅力を紹介!
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能 丹後物狂 上演 600年の歴史の縁に感激!
昨日10月24日は待望の能「丹後物狂」が上演されました。

その前日には「丹後物狂」を十倍楽しむ講演会が開催され、午後は開催場所である智恩寺で、夜はみやづ歴史の館でありました。
先生方もなかなか集まっていただけない素晴らしい先生方ばかりで、よくこれだけの方々が一同に集まっていただいた!というのが率直な感想です。

大変分かりやすい解説をしていただきました。

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いよいよ能の上演当日です。実際の演目の画像をお見せできないのが残念ですが、本当に素晴らしい能でした。

今回の素晴らしさをポイントだけまとめると、

①約600年前に足利義満(室町幕府三代将軍)が6回(2番目に多い)も天橋立に来ている。この事自体がすごい!義満は伊勢には11回(1番多い)行っており、伊勢と元伊勢の地をつかむことで、日本国王になろうとしていたのでは、と言われています。

②その義満についてきた世阿弥(ぜあみ)が井阿弥(せいあみ)の原作を基に「丹後物狂」をつくった。

③ストーリーは:「丹後物狂」は、天橋立の智恩寺文殊堂で願掛けをして生まれた子どもをめぐるホームドラマである。近くの領主岩井殿(シテ)の一子花松(子方)は成相寺の稚児として勉学に励んでいたが、実家に帰ったとき、雑芸も上手だと聞いた岩井殿が腹を立て、勘当してしまう。花松は海に身を投げたところを助けられ、九州彦山の寺で学問に励んで大成し、説教僧として文殊堂に帰ってくる。そこに子を失って物狂いとなった父親が行き合わせ再会する、というストーリーである。(天橋立観光協会HPより抜粋)

④「丹後物狂」が1400年前後頃に出来たとして、雪舟が「天橋立図」を画いたのが約100年後の1500年頃。この有名な天橋立図にはすでに「丹後物狂」が地元に根付いていたことをビジュアル的に語っている。花松が身投げした「涙ヶ磯」などがクローズアップされている。

⑤世阿弥はこの「丹後物狂」を著作の中で数多く取り上げており、並はずれた関心、力の入れようがうかがえる。江戸時代初期以降何故かしばらく途絶えてしまっていたが、今回それを復曲していただいた。

⑥世阿弥の子孫である観世流の宗家親子が、親子の絆の物語を演じるということ。物語の舞台となり上演場所となる天橋立智恩寺は境内の建造物やご本尊は600年前に義満や世阿弥、そして雪舟が参詣した時と同じ形で遺されている、という長い長い歴史の糸を紡いできたような今回の能。

⑦普段は見ることの出来ない智恩寺のご本尊「文殊菩薩」様がご開帳され、その目の前で観世流宗家親子が再会の喜びを丹念に演じる。最後には「大聖文殊の利生なり、大聖文殊の利生なり。」と結ばれるこの物語は、本当に文殊菩薩様のお蔭に他ならず、このことに感激して最後は号泣する方が多くいらっしゃいました。

⑧今回の上演まで数年かけて準備してきました。多くの学者さんや、本当に多くの方々のお蔭でこの日を迎えましたが、私も実行委員会の末席に連ならせていただき、本当に感謝しています。

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