FC2ブログ
清輝楼日記:丹後半島宮津/天橋立の文人墨客の宿
京都府北部丹後半島・宮津/天橋立の老舗旅館清輝楼主人の徒然日記。元禄年間創業の宿は「小さなちいさな美術館」として文人墨客の作品を多数展示。歴史・まち歩き情報など丹後宮津/天橋立の魅力を紹介!
プロフィール

清輝楼主人

Author:清輝楼主人



最近の記事



カテゴリー



カレンダー

03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



リンク



信長の命日
昨日6月2日は何の日か知っていますか?
織田信長の命日ですね。ということは明智光秀が決起したいわゆる本能寺の変が起きた日ということになります。光秀の娘「たま」は当時宮津領主だった細川忠興に嫁いでいました。宮津の近くにある福知山の領主が明智光秀だったのです。光秀は宮津の細川親子(幽斎・忠興)が自分の味方をしてくれるものと思いましたが、実際は細川親子は剃髪し信長に弔意を表したのでした。ですから謀反人、光秀の娘「たま」を味土野(みどの)という丹後半島の山奥に幽閉すべく、宮津城から舟で出発したのが現在の大手川付近と言われています。幼い子供と離ればなれになってしまう悲しい情景が今でも伝わっています。後にキリスト教の洗礼を受けて「細川ガラシャ夫人」と言われる「たま」の悲劇のはじまりの場面でした。

ところでこの本能寺の変ですが、いろいろ研究者が興味深いことを論じています。先年清輝楼に投宿した文人のお話だと、本能寺の変の首謀者は実は豊臣秀吉で、わざと光秀に本能寺を襲わせ信長を殺害した後は、光秀を僧にかえてかくまったというのです。そうでなければ大人数の兵が突然大移動する「中国大返し」などはできないと言うのです。ですから秀吉が天下を取るための策略が本能寺の変だと、その文人は力説されていました。表に出ない歴史の話はいろいろありますね。
スポンサーサイト