清輝楼日記:丹後半島宮津/天橋立の文人墨客の宿
京都府北部丹後半島・宮津/天橋立の老舗旅館清輝楼主人の徒然日記。元禄年間創業の宿は「小さなちいさな美術館」として文人墨客の作品を多数展示。歴史・まち歩き情報など丹後宮津/天橋立の魅力を紹介!
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【日本一の大とり貝・大岩がき】宿泊プラン登場!昼膳は3150円!
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日本一の大とり貝と大岩がき昼膳3,150円
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6月15日とり貝岩がき昼膳
皆さん、日本三景天橋立がある、この宮津の夏の名物は何か知っていますか?それは日本一の大とり貝です!普通のお寿司やさんで食べる【とり貝】が人間の親指くらいのサイズだとすると、宮津産【とり貝】は子供の手のひらくらいの大きさになります。その身の重さは一般の10倍で肉厚・大きさ・味は一級品と言われていて、いわゆる高級食材なのです。それをもっと皆さんに食べて頂きたいということで、宮津市長が先頭に立って生産者・流通業者・飲食業者をまとめあげ【丹後とり貝】としてブランド化されました!現在特に力を入れているのは、宮津で昼に【とり貝】料理を食べて、宮津の町中観光をしよう!ということです。 子供の手のひらほどもある大とり貝 そしてその【とり貝】と並んでもう一つ有名なのが丹後の夏の特産【岩がき】です。【岩がき】は手のひらぐらいのゴツゴツした大きな堅い殻につつまれ、その中には一口では食べられないほどの大きな身が入っています。その大きさ・濃厚でクリーミーな味わいなどこれも超一級です。 超一級大岩ガキ 清輝楼では昼膳として食堂「せいき」にてこの夏の2大名物を取り入れ「小鉢・とり貝と魚のお造り・岩がき陶板焼き・旬の天ぷら・御飯 赤だし・フルーツ」3,150円でお出ししています。大好評で毎日多くの方がお見えになっております。予約してお越し下さい。
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日本一の大とり貝と大岩がきご宿泊プランも登場!
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6月15日とり貝・岩がき料理プランイメージ

せっかく宮津天橋立に来たのだから、ゆっくり泊まって【日本一の大とり貝・岩がき】を食べたいということで、宿泊プランをつくりました。平日は18,000円(税金・サービス料・入湯税込み)です。名物を堪能したら「小さなちいさな美術館」でゆっくりして下さい。 超ビッグ!大岩がき陶板焼き!
一口で食べきれない巨大岩ガキ。とろける味わいは超一流。是非清輝楼でご賞味下さい!
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信長の命日
昨日6月2日は何の日か知っていますか?
織田信長の命日ですね。ということは明智光秀が決起したいわゆる本能寺の変が起きた日ということになります。光秀の娘「たま」は当時宮津領主だった細川忠興に嫁いでいました。宮津の近くにある福知山の領主が明智光秀だったのです。光秀は宮津の細川親子(幽斎・忠興)が自分の味方をしてくれるものと思いましたが、実際は細川親子は剃髪し信長に弔意を表したのでした。ですから謀反人、光秀の娘「たま」を味土野(みどの)という丹後半島の山奥に幽閉すべく、宮津城から舟で出発したのが現在の大手川付近と言われています。幼い子供と離ればなれになってしまう悲しい情景が今でも伝わっています。後にキリスト教の洗礼を受けて「細川ガラシャ夫人」と言われる「たま」の悲劇のはじまりの場面でした。

ところでこの本能寺の変ですが、いろいろ研究者が興味深いことを論じています。先年清輝楼に投宿した文人のお話だと、本能寺の変の首謀者は実は豊臣秀吉で、わざと光秀に本能寺を襲わせ信長を殺害した後は、光秀を僧にかえてかくまったというのです。そうでなければ大人数の兵が突然大移動する「中国大返し」などはできないと言うのです。ですから秀吉が天下を取るための策略が本能寺の変だと、その文人は力説されていました。表に出ない歴史の話はいろいろありますね。